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多聞山城 観光ガイド


多聞山城

多聞山城 多聞山城_航空写真
  • 別名:多聞城
  • 城郭構造:平山城
  • 築城主:松永久秀
  • 築城年:1560年(永禄3年)
  • 城主:松永久秀、松永久通、塙直政

1560年(永禄3年)松永久秀が眉間寺山と呼ばれていた標高115メートルの山に築城しました。

城に多聞天を祀っていたことから多聞山城と呼ばれ、現在でも城跡の山は多聞山と呼ばれています。 天守に相当する四階櫓、多聞櫓と呼ばれる長屋状の櫓が建造されました。これが多聞櫓のルーツであるそうです。豪華な城郭で庭園や茶室もあり、内装には狩野派絵師の絵画が使用されました。

松永久秀は多聞山城と信貴山城を拠点として筒井順慶と大和国支配を争いました。

1571年(元亀2年)辰市城の合戦で松永久秀は筒井順慶に敗れ、大和での松永氏の勢力は弱体化します。

松永久秀は織田信長の上洛時に信長に従属しますが、信長と足利義昭の対立が深まり信長包囲網が確立されると、三好三人衆と手を組んで信長と戦います。1573年(天正元年)12月、織田軍に多聞山城を包囲され、多聞山城を織田信長に差し出して降伏しました。

1575年(天正3年)信長の家臣の塙直政(ばんなおまさ)が大和守護として入ります。塙直政は1576年(天正4年)石山本願寺攻めに参加して戦死します。1577年(天正5年)多聞山城は破壊され、建物や内装は京都の旧・二条城に移築され、石材は筒井城、郡山城に使用されました。

現在、多聞山城の本丸跡には若草中学校があり、城の遺構として校舎とグラウンドの間の堀切と土塁がわずかに残っているそうです。

近くにある若草公民館には多聞城を紹介するコーナーとパンフレットが置いてあります。

多聞山城_堀跡 多聞山城_堀跡2

多聞山城 地図



多聞山城 スタンプ

スタンプは、確認できませんでした。


多聞山城 御朱印・御城印

多聞山城の御城印は、確認できませんでした。


多聞山城 交通アクセス

[鉄道]

大阪 - JR環状線(16分)- 鶴橋

鶴橋 - 近鉄奈良線快速急行(32分) - 近鉄奈良

京都 - 近鉄京都線急行(42分)- 大和西大寺

大和西大寺 - 近鉄奈良線快速急行(6分) - 近鉄奈良


多聞山城 駐車場