100名城:38番
別名:霧ヶ城
城郭構造:梯郭式山城
築城主:遠山景朝
築城年:鎌倉時代中期
城主:遠山氏、森氏、大給松平氏、丹羽氏
鎌倉幕府の征夷大将軍、源頼朝の家臣であった加藤景廉が遠山荘の地頭となり、景廉の長男景朝が城館と砦を築き、遠山氏を称しました。
戦国時代末期、遠山景任は織田信長の叔母(おつやの方)を娶って縁戚関係を結び、織田氏と武田氏の両方に臣従し外交関係を仲介していました。
1572年(元亀3年)遠山景任が病死すると、織田信長は東美濃の支配権を奪うために五男の御坊丸を亡くなった遠山景任の養嗣子として家督を継がせ、叔母のおつやの方を後見人としました。
岩村城は日本三大山城の一つであり、おつやの方が領民を守るために武田氏や織田氏と戦ったことから、女城主の郷とも呼ばれています。