岐阜城 観光ガイド
岐阜城
- 100名城:39番
- 別名:稲葉山城、金華山城、井口城
- 城郭構造:山城
- 築城主:二階堂行政
- 築城年:1201年(建仁元年)
- 城主:斎藤氏、織田氏
1201年(建仁元年)下級貴族の二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが稲葉山城の始まりです。二階堂行政は算道に詳しく熱田神宮の算師を勤めていたこともありました。
15世紀中頃、美濃守護代の斎藤利永が砦を修復して居城としました。1525年(大永5年)斎藤氏の家臣であった長井長弘と長井新左衛門尉が謀反を起こして稲葉山城を奪い、新左衛門尉が亡くなると子の長井新九郎規秀(斎藤道三)が後を継いで城主となりました。
1556年(弘治2年)斎藤家の家督争いが発端となった長良川の戦いで斎藤道三は長男の斎藤義龍に敗れ戦死しました。
1567年(永禄10年)織田信長が西美濃三人衆(稲葉良通、安藤守就、氏家直元)の内応により稲葉山城を攻略し、拠点を小牧山城から稲葉山城に移転して地名を岐阜と改めました。
織田信長は岐阜城に居館を移した頃から天下布武の印を使い始めました。天下布武の言葉のには、武力による天下の統一、武家による統治、幕府の再興などを意味するなどの解釈があるそうです。 織田信長は金華山の西側の麓の槻谷(けやきだに)にあった斎藤道三の居館跡を改修し、賓客をもてなすために庭園を造りました。
冠木門を通り抜けると織田信長の居館跡があります。2007〜2017年にかけて発掘調査が行われ、信長の居館、庭園の建物跡の遺構が確認されました。斎藤道三の時代の石垣・石積みの遺構も発見されています。
岐阜城 地図
岐阜城 続100名城スタンプ
スタンプは、岐阜城資料館に設置しています。
岐阜城 御朱印・御城印
岐阜城の御城印は、金華山ロープウェーの売店で販売されています。
岐阜城 交通アクセス
[鉄道]
名古屋 - JR東海道本線特別快速(20分) - 岐阜