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岐阜城 戦国武将


斎藤道三

立浪

1494年(明応3年)-1556年(弘治2年)。

斎藤道三は11歳のときに京都の妙覚寺で得度を受け法蓮房の名で僧侶となりました。その後、美濃国の守護代の長井長弘の家臣となり、次いで、美濃国の守護大名の土岐政房の次男の土岐頼芸の補佐役となりました。

1542年(天文11年)道三は土岐頼芸を尾張に追放し、事実上の美濃国主となります。1548年(天文17年)娘の帰蝶を織田信秀の嫡男の信長に嫁がせました。

1554年(天文23年)家督を子の斎藤義龍へ譲り、自らは常在寺で剃髪して道三と号し、鷺山城に隠居しました。1556年(弘治2年)長良川の戦いで斎藤義龍に破れ戦死しました。


竹中半兵衛

丸に九枚笹

1544年(天文13年)-1579年(天正7年)。

1564年(永禄7年)竹中半兵衛は斎藤龍興の家臣であった時に、わずかな軍勢(17名)で稲葉山城(後の岐阜城)を奪いました。

その後、半兵衛は浪人となりますが、織田家で頭角を表していた木下秀吉(後の豊臣秀吉)の誘いに応じて家臣となりました。竹中半兵衛は木下秀吉の才覚を見抜いていたとされています。


織田信長

織田木瓜

1534年(天文3年)-1582年(天文10年)。

1548年(天文17年)織田信長は斎藤道三の娘の帰蝶を正室にしました。

1556年(弘治2年)長良川の戦いのとき、信長は斎藤道三の救援に向かいますが間に合いませんでした。

1567年(永禄10年)信長は調略により西美濃三人衆(稲葉良通・氏家直元・安藤守就)を寝返らせ、稲葉山城の戦いに勝利して城を奪いました。信長は稲葉山のあった井ノ口という地名を岐阜と改めます。信長は岐阜城を本拠地として、天下布武の朱印を使い始めました。

織田信長ゆかりの城
織田信長ゆかりの寺・神社

織田信忠

織田木瓜

1557年(弘治3年)-1582年(天文10年)。

織田信長の嫡男。

1575年(天正3年)信忠は長篠の戦いで大きな武功を挙げる。 同年、信長から家督を譲られて岐阜城主となり、美濃・尾張両国を領有した。


池田元助

揚羽蝶

生誕不詳-1584年(天正12年)。

池田恒興の嫡男。

1583年(天正11年)池田元助は賤ヶ岳の戦いに参戦します。羽柴秀吉と織田信雄に攻められて、岐阜城主の織田信孝が自害しました。池田恒興は大垣城主となり、池田元助は岐阜城主となりました。

1584年(天正12年)元助は長久手の戦いで三河を奇襲しますが、徳川家康・井伊直政・織田信雄に撃退されて父の池田恒興と共に討ち死にしました。


池田輝政

揚羽蝶

1565年(永禄7年)-1613年(慶長18年)。

池田恒興の次男。姫路藩初代藩主。

1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いで父の池田恒興と兄の池田元助が共に討ち死にしたため、池田輝政は家督を相続して大垣城主となりました。翌年に転封となり岐阜城主となりました。


織田秀信

織田木瓜

1580年(天正8年)-1605年(天正8年)。

織田信忠の嫡男。幼名は三法師。

1582年(天正10年)本能寺の変のとき、岐阜城から清洲城に避難しました。

清洲会議で三法師は羽柴秀吉に擁立されて織田家の家督を相続し、近江国に20万石の直轄領を得ました。

1592年(文禄元年)織田秀信は豊臣秀吉から岐阜を与えられ岐阜城の城主となりました。