長篠城 観光ガイド
長篠城
- 100名城:46番
- 別名:末広城、扇城
- 城郭構造:平城
- 築城主:菅沼元成
- 築城年:1508年(永正5年)
- 城主:菅沼氏、奥平氏
1508年(永正5年)今川氏親の家臣であった菅沼元成が築城しました。 長篠城は豊川と宇連川の合流する断崖絶壁の上にある堅固な城でした。
1575年(天正3年)織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼の軍勢が戦った、長篠・設楽原合戦の舞台となった城です。 徳川氏に寝返った奥平信昌が長篠城に籠城、援軍要請の伝令に出た鳥居強右衛門は磔にされ殺されました。 決戦地の設楽原では、武田方の多くの武将が亡くなり10000人以上の犠牲者を出しました。
現在、長篠城跡には長篠城址史跡保存館があり、籠城の際に使用されたといわれる血染めの陣太鼓、血槍(長坂信政の槍)、火縄銃の弾丸や鏃(やじり)などの出土遺物が展示されています。
長篠城址史跡保存館 利用案内長篠城周辺の観光名所
設楽原古戦場
1575年(天正3年)長篠・設楽原合戦の決戦地です。 信長公記によると武田軍から見えにくい周囲を丘陵に囲まれた窪地であった設楽原に織田信長・徳川家康連合軍は布陣して、土塁に馬防柵を設けた陣城(野戦築城)で武田の騎馬隊を迎え撃ちました。 武田信玄時代からの重臣であった馬場信春、山県昌景、内藤昌豊らは死を覚悟して水盃を飲んで決別したと言われています。
従来の定説では、織田信長が鉄砲隊を3つに分けて三段撃ちを考案したとされていましたが、現在では後世の創作であるとされています。 設楽原古戦場跡に、現在、設楽原歴史資料館が運営されています。
新城市設楽原歴史資料館 地図信玄塚と呼ばれる塚があり、大塚は武田軍、小塚は信長・家康連合軍の戦没者が埋葬されています。右は武田二十四将の山県昌景の墓所です。
山梨県の笛吹川上流にある川浦温泉山県館(温泉旅館)は山県昌景の子孫が経営しているそうで、玄関には昌景の鎧兜と肖像画が展示されています。
山梨県山梨市 川浦温泉 山県館鳳来寺
徳川四天王の井伊直政が14歳まで過ごした寺で、源頼朝や徳川家康ゆかりの寺としても知られています。 表参道の石段を登り、右上の写真の仁王門を過ぎた辺りに傘を差したように見える傘杉があります。推定樹齢800年の名木で新日本名木百選にも選ばれています。 名木百選っていうのがあるんですね、おどろ木ました。
鳳来寺 地図長篠城周辺のお祭り・イベント
長篠合戦のぼりまつり
開催期間:5月上旬
開催場所:長篠城址
長篠の戦いで戦死した将兵を慰めるため、紋入りのぼり数千本を献植して行うまつりです。 鉄砲隊による火縄銃の演武、長篠陣太鼓、合戦行列、観光物産展などが開催されます。
長篠城址 地図長篠城 地図
長篠城 100名城 スタンプ
スタンプは、長篠城址史跡保存館の窓口に設置されています。
長篠城 御朱印・御城印
長篠城の御城印は長篠城址史跡保存館で販売されています。
長篠城 交通アクセス
[鉄道]
名古屋 - JR東海道本線新快速(60分) - 豊橋
豊橋 - JR飯田線(17分) - 長篠城
長篠城 駐車場
長篠城 おすすめ観光情報・名物
医王寺 |
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