大和郡山城 観光ガイド
大和郡山城
- 続100名城:165番
- 別名:雁陣之城
- 城郭構造:輪郭式平山城
- 築城主:郡山衆、筒井順慶
- 築城年:1162年(応保2年)、1580年(天正8年)
- 城主:筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛、水野氏、本多氏、柳沢氏
郡山城は郡山衆とよばれる土豪たちが1162年(応保2年)に雁陣之城を築いたことが始まりです。
1559年(永禄2年)三好長慶の家宰であった松永久秀が大和国に攻め入り、翌年に信貴山城を築城して大和国の統一を進めると、郡山城は筒井順慶と松永久秀の間で幾度となく戦いの場となりました。
1571年(元亀2年)辰市城の合戦で筒井氏が松永氏に勝利し、大和での松永氏の勢力は弱体化します。
1580年(天正8年)8月に織田信長の破城令により筒井氏は筒井城を破棄して郡山城を居城としました。
1585年(天正13年)豊臣秀吉は大和国を豊臣秀長の領地とし、秀長は郡山城に入城し筒井氏は伊賀上野へ転封となります。秀長は郡山城を大規模に改修しました。当時大和は石材に乏しかったために、天守台の石垣には墓石や石仏、地蔵、五輪塔、平城京羅城門の礎石まで用いられました。
明治維新後、多くの建物が破却されました。遺構として、本丸跡、毘沙門曲輪が奈良県の指定文化財に指定されています。 近年、追手門・櫓・天守台などが修復・整備されています。追手門には豊臣家の家紋である五三桐が装飾されていました。
写真は修復された天守台で展望施設となっています。2013-17年(平成25-29年)にかけての調査で、天守の礎石が確認され、豊臣秀長または増田長盛の時代に天守が存在していたと考えられています。
天守台の北側の石垣には、逆さになった状態で石垣に利用されたお地蔵様があり、逆さ地蔵と呼ばれています。天守は逆さ地蔵の祟りによる地震で倒壊したという俗説が残っているそうです。
2021年(令和3年)本丸と東側の毘沙門曲輪の間の内堀に架かる極楽橋が150年ぶりに再建されました。
郡山城跡一帯は約800本の桜がお堀を囲むように植えられ「日本さくら名所100選」に選ばれています。
柳沢文庫は、柳沢保承(郡山藩旧藩主家)が作った郷土史書を中心として設立された図書館で、明治時代に建設された旧柳沢邸を館施設として利用しています。続100名城スタンプの設置場所です。大和郡山城のパンフレット、「郡山城の構え、郡山城の石垣、郡山城を掘る」の冊子を入手できます。
大和郡山城 地図
大和郡山城 続100名城スタンプ
スタンプは、柳沢文庫に設置されています。
柳沢文庫:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
毎週月曜日・第4火曜日は休館
大和郡山城 御朱印・御城印
大和郡山城の御城印は、柳沢文庫にて販売しています。
大和郡山城 交通アクセス
[鉄道]
大阪 - JR環状線(16分)- 鶴橋
鶴橋 - 近鉄奈良線快速急行(26分) - 大和西大寺
京都 - 近鉄京都線急行(42分)- 大和西大寺
大和西大寺 - 近鉄橿原線(8分) - 近鉄郡山