東山霊山城 観光名所・観光スポット
清水寺
清水寺は北法相宗の大本山の寺院。平安京遷都以前からの歴史をもつ京都では数少ない寺院の1つで、日本でも有数の観音霊場。
778年(宝亀9年)大和国の興福寺の僧であった賢心(延鎮と改名)が修行中の夢のお告げにより北へ向かい、清水寺(音羽山)の地で行叡居士(行叡居士)から霊木を授かって千手観音像を彫って行叡居士の庵に安置したことが清水寺の始まりとされています。
798年(延暦17年)坂上田村麻呂は延鎮と協力して寺院を建立し、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けました。
清水の舞台として有名な本堂は1633年(寛永10年)徳川家光の寄進によって再建されたもので国宝に指定されています。
清水寺 地図八坂神社
全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社。
八坂神社の創建には、656年(斉明天皇2年)高麗から来た渡来人の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祀ったとする説と、876年(貞観18年)南都の僧の円如(えんにょ)が当地にお堂を建立したとする説の、2つの説があります。
国宝になっている本堂は1654年(承応3年)徳川家綱によって再建されました。
日本三大祭の祇園祭は疫病が鎮まるようにとの祈りを込めて約1150年前(平安時代)に始まった八坂神社の祭礼です。
八坂神社 地図知恩院
知恩院は浄土宗の総本山の寺院。
1175年(承安5年)比叡山で修行していた法然が「専修念仏」の思想に開眼し浄土宗の開宗を決意して東山の吉水に吉水草庵(現在の知恩院御影堂(本堂))を建てたことが知恩院の始まりです。
国宝に指定されている本堂(御影堂)は1639年(寛永16年)に、同じく国宝の三門は1641年(寛永18年)に徳川家光によって再建されました。
知恩院 地図建仁寺
建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山で、京都五山の第三位。
1202年(建仁二年)鎌倉幕府第2代将軍の源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として創建されました。
栄西は臨済宗を正式に伝えた人物で、臨済宗は中国の禅宗五家の一つです。創建時は比叡山延暦寺の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であったため、天台・密教・禅の三宗兼学の道場となっていました。
1259年(正元元年)宋の禅僧の建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してから純粋に禅の道場となりました。
応仁の乱の戦火により創建当時の建物は焼失します。天正年間(1573-92年)毛利氏の外交僧として有名な安国寺恵瓊が復興に努めました。
国宝の風神雷神図(俵屋宗達作)は建仁寺の所蔵で原本は京都国立博物館に寄託されています。
豊臣秀吉を祀る高台寺や八坂の塔のある法観寺は建仁寺の末寺です。
建仁寺 地図高台寺
高台寺は臨済宗建仁寺派の寺院。
1598年(慶長3年)豊臣秀吉が病死すると、秀吉の正室であった北政所(ねね)が秀吉の菩提を弔うために寺院の建立を発願し、 1606年(慶長11年)高台寺が開山しました。
高台寺 地図六波羅蜜寺
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)は真言宗智山派の寺院。
踊り念仏で知られる空也(くうや)が951年(天暦5年)に造立した十一面観音を本尊とする道場が六波羅蜜寺の始まりです。
空也は疫病の蔓延する京都で観音像を車に乗せて歩き、念仏を唱えて病人に茶をふるまって多くの人を救ったそうです。
国宝の木造十一面観音立像は伝承のとおり951年(天暦5年)空也が創建した当時の本尊像であるそうで、12年に一度辰年にのみ開帳される。
重要文化財の木造空也上人立像は、鎌倉時代、運慶の四男の康勝の作。空也の口からは6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されており、6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴している。
六波羅蜜寺 地図蓮華王院 三十三間堂
三十三間堂の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)で天台宗の寺院。
後白河上皇(1127-92年)が離宮として建てた法住寺殿の一画に、平清盛に建立の資材協力を命じて1165年(長寛2年)に蓮華王院本堂としての三十三間堂が創建されました。
国宝の三十三間堂は1266年(文永3年)に再建されたもの。
吉川英治の小説、宮本武蔵のなかで、武蔵と吉岡伝七郎が決闘した場所として有名です。
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