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江戸城 戦国武将


太田道灌

太田桔梗

1432年(永享4年)-1486年(文明18年)。

1455年(康正元年)父の資清から家督と扇谷上杉家の家宰職を継ぎました。

古河公方(足利成氏)の勢力(古河城、関宿城、忍城など)に対抗するため、1457年(長禄元年)江戸城、川越城、岩槻城を築きました。1455-83年の享徳の乱で太田道灌は江戸城の城主として川越城、岩槻城と連携して戦線を指揮して、古河公方・足利成氏軍との戦いで連勝し、長尾景春の乱を鎮圧しました。

1486年(文明18年)太田道灌は扇谷上杉家の当主となった上杉定正に相模糟屋館に招かれて暗殺されました。


太田資康

太田桔梗

1476年(文明8年)-1513年(永生10年)。

1485年(文明17年)に元服しますが、主君の扇谷上杉家の上杉定正と父の太田道灌の関係が悪化していたため、対立する古河公方の足利成氏の元へ人質の名目で預けられました。

1486年(文明18年)父の太田道灌が暗殺され江戸城に戻って家督を継ぎますが、上杉定正に攻められ甲斐に逃亡しました(江戸城の乱)。

1488年(長享2年)扇谷上杉家の上杉定正と山内上杉家の上杉顕定の間の上杉家の内紛による長享の乱が起こると、太田資康は山内上杉顕定側に参加して戦います。

1494年(明応3年)上杉定正が急死し、資康は扇谷上杉家に復帰します。当初は菅谷館を居城としましたが、1505年(永正2年)頃に江戸城に帰還しました。

1513年(永正10年)伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められた舅の三浦義同の救援に向かい戦死したそうです。


太田資高

太田桔梗

1498年(明応7年)-1547年(天文16年)。

扇谷上杉家の重臣でしたが、1524年(大永4年)北条氏綱が江戸に侵攻すると内応しました。太田資高は北条家の家臣となり氏綱、氏康に仕えました。

太田資高は江戸城の太田道灌にゆかりのある香月亭(三の丸)に入りました。


太田康資

太田桔梗

1531年(享禄4年)-1581年(天正9年)。

1547年(天文17年)父の資高が亡くなり家督を継ぎ江戸城の城代となる。

太田康資は主君の北条氏康からの恩賞が少ないことや、江戸城の城主になれないことに不満を持ちました。

1562年(永禄5年)同族であった武蔵松山城の城代の太田資正を通じて越後上杉氏(上杉謙信)への寝返りを画策して露見し、太田資正の元へ逃亡します。北条氏康によって武蔵松山城は攻略されますが、上杉謙信は上杉方の数少ない武蔵の国人として太田資正、康資を重要視したため里見義堯に救出を要請し、これがきっかけとなり、1563-64年(永禄6-7年)第二次国府台合戦が始まりました。


富永政直

木瓜二つ引き

生没不明。

西伊豆地方の海賊を支配下に置き、土豪として勢力を伸ばしました。

1493年(明応2年)伊勢宗瑞(北条早雲)が堀越御所を襲撃すると、富永政直は北条家に恭順し重臣として迎えられ、興国寺城の城代となりました。政直は水軍を率いて活躍しました。

1524年(大永4年)北条氏綱が江戸城を攻略すると、政直は本丸に入りました。


富永直勝

木瓜二つ引き

1509年(永正6年)-1564年(永禄7年)。

父の政直から家督を継ぎ江戸城の城代となる。北条五色備の青備えを率い、五家老に列せられていたとされる。

1563年(永禄6年)第二次国府台合戦で先陣を務めますが、江戸川を渡河中に里見氏の反撃を受けて討死しました。


遠山直景

織田木瓜

生年不明-1533年(天文2年)。

室町幕府奉公衆の美濃遠山氏の一族出身。

伊勢宗瑞(北条早雲)の家臣として活躍し、1518年(永正15年)北条氏綱が当主となった頃に、遠山直景は家老もしくは筆頭家老であったと推測されています。

1524年(大永4年)北条氏綱が江戸城を攻略すると、直景は二の丸に入りました。


遠山綱景

織田木瓜

1513年(永正10年)-1564年(永禄7年)。

1533年(天文2年)父の直景が亡くなると家督を継ぎ江戸城の城代となる。

1550年(天文19年)大道寺盛昌が亡くなると北条氏康の家中において遠山綱景が筆頭家老的な立場になったと推測されています。

1563年(永禄6年)第二次国府台合戦で先陣を務めますが、江戸川を渡河中に里見氏の反撃を受けて討死しました。


徳川家康

三つ葉葵

1542年(天文11年)-1616年(元和2年)。

安祥松平家の第5代当主。

江戸幕府初代征夷大将軍。

幼少期を織田家、今川家の人質として過ごす。 1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が討死すると今川家から独立して、織田信長に接近して清洲同盟を結ぶ。 1582年(天正10年)本能寺の変での織田信長の死後、徳川家康は勢力を拡大して三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を領有する大大名となる。 1586年(天正14年)豊臣秀吉に臣従する。 1598年(慶長3年)豊臣政権において豊臣秀頼を補佐するための五大老に任命される。 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで西軍(石田三成)に完勝する。 1603年(慶長8年)征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。

徳川家康ゆかりの城
徳川家康ゆかりの寺・神社