江戸城 100名城 観光ガイド

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江戸城 江戸城2

100名城:21番

別名:江城、千代田城

城郭構造:輪郭式平城または平山城

築城主:太田道灌

築城年:1457年(康正3年)

城主:太田氏、扇谷上杉氏、北条氏、徳川将軍家

享徳の乱の時に、扇谷上杉氏(上杉持朝)が古河公方(足利成氏)の勢力(古河城、関宿城、忍城など)に対抗するために、1457年(康正3年)家臣の太田道灌に命じて江戸城を築城しました。上杉持朝は河越城を居城とし太田道灌を江戸城の城主として古河公方に対して防衛線を築きました。
1486年(文明18年)太田道灌は扇谷上杉氏の当主となった上杉定正に相模糟屋館に招かれて暗殺されてしまい、子の太田資康が江戸城主となりますが上杉定正に攻められ甲斐に逃亡しました。上杉定正は南総里見八犬伝に登場する敵役の扇谷定正として知られています。
扇谷上杉氏は小田原、鎌倉を北条氏に奪われて衰退し、江戸城は1524年(大永4年)北条氏綱に攻略されました。
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の際に開城し、同年の8月に徳川家康が入城しました。
家康が入場したころの江戸城は荒れ果てた小さな城であったそうで、天下普請により城を大改修し城下町を整備しました。
現在、江戸城の跡地には、皇居、宮内庁、東京国立近代美術館、日本武道館などがあります。
江戸城_天守台 江戸城_桜田門
左の写真は天守台です。天守台は黒田長政によって築造されました。残念ながら天守は、1657年(名暦3年)明暦の大火により焼失しました。
右の写真は桜田門(旧江戸城外桜田門)です。 1860年(安政7年)水戸藩浪士による大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた場所として有名です。

浅草寺

浅草寺_雷門 浅草寺_本堂
浅草寺は聖観音宗の本山である寺院。
628年(推古天皇36年)漁の網にかかった聖観音像をお祀りするために建てた寺が浅草寺の起源です。
1590(天正18年)徳川家康は江戸に入府し、浅草寺は祈願所として庇護を受けました。
1685年(貞享2年)浅草寺の表参道に仲見世の前身である商店が設けられました。日本で最も古い商店街の一つとされ、水茶屋、玩具、菓子、土産屋などが立ち並びました。
浅草寺 地図

増上寺

増上寺_三解脱門 増上寺_本堂
増上寺は浄土宗の寺院。
1393年(明徳四年)現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地に、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。
1590年(天正18年)徳川家康は江戸に入府すると、増上寺は徳川家の菩提寺となりました。
1598年(慶長3年)増上寺は現在の芝の地に移転されます。これは、風水的に江戸の裏鬼門に増上寺を配置したと考えられています。
1616年(元和2年)徳川家康は増上寺にて葬儀を行うよう遺言を残して亡くなりました。
増上寺 地図

寛永寺

寛永寺_根本中堂 寛永寺_上野大仏
寛永寺は天台宗関東総本山の寺院。
山号の東叡山は「東の比叡山」を意味します。
1625年(寛永2年)江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師天海大僧正によって建立されました。
徳川3代将軍の家光は天海に大いに帰依し、葬儀は寛永寺に行わせ、遺骸は家康の廟がある日光へ移すように遺言しました。その後、寛永寺は増上寺と並んで徳川家の菩提寺となりました。
17世紀半ばから、寛永寺貫首(住職)は皇族が務めたため朝廷との繋がりが深くなりました。
上野大仏は、1631年(寛永8年)越後村上藩主の堀直寄(堀直政の次男)の寄進で最初の大仏が造られましたが、度々災害に見舞われ、現在は顔の部分のレリーフが安置されています。胴体を失った顔は、これ以上落ちないという意味で合格大仏と呼ばれています。
寛永寺 地図

築地場外市場

築地場外市場_寿司 築地場外市場_海鮮丼
海産物を中心に400以上の小売り店・飲食店があります。
築地場外市場 地図

江戸城 地図



江戸城 100名城スタンプ

スタンプは、楠公休憩所、和田倉休憩所、北の丸休憩所に設置されています。

江戸城 御朱印・御城印

江戸城の御城印は、江戸城天守を再建する会主催のイベントの時に販売されます。

江戸城 交通アクセス

東京駅、大手町駅から徒歩。

江戸城 駐車場

北の丸第一駐車場

江戸城 周辺の観光情報・名物

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