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水戸城 戦国武将


江戸忠通

左三つ巴

1508年(永正5年)-1564年(永禄7年)。

常陸江戸氏7代当主。

1535年(天文4年)父の通泰が死去したため家督を継ぎました。

佐竹氏に従属していましたが、1545年(天文14年)常陸統一に向けて勢力拡大する佐竹義昭に反抗します。

1550年(天文19年)戸村合戦で佐竹義昭に勝利しますが、翌年、降伏し佐竹氏に再び従属しました。

嫡男の通政が病弱であったため後継者として孫の江戸重通路を指名しました。通政の病気平癒の祈願のため鹿島神宮に鎧兜を奉納しました。

1564年(永禄7年)水戸城で亡くなりました。


江戸重通

左三つ巴

1556年(弘治2年)-1598年(慶長3年)。

常陸江戸氏9代当主。

1567年(永禄10年)父の通政が病死したため家督を継ぎました。

北条氏政の勢力が北関東にまで及んだため佐竹義重に従属する形で北条軍と戦いました。

1575年(天正3年)江戸氏が保護していた真言宗の僧侶に絹衣の着用を許可したため正親町天皇と織田信長に問責の使者を送られますが、重通はこれを上手く利用して従五位下・但馬守に補任されました。

1578年(天正6年)北条氏と和睦し水戸城の南の大掾氏や鹿島へ侵攻しますが、家臣団への負担が大きく離反するものがあらわれ、江戸氏は衰退しました。

1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の時、佐竹義宣に秀吉への執り成しを求めましたが黙殺されました。同年、佐竹軍に水戸城を奪われ、結城晴朝のもとへ逃げ落ちました。

1598年(慶長3年)死去しました。