水戸城 歴史 資料館
水戸城の歴史
1190〜8年(建久年間)源頼朝から常陸大掾(国司)に任ぜられた馬場資幹(大掾氏)によって築城されました。 当時は馬場城と呼ばれており、佐竹氏の入城以降に水戸城に改名されます。
室町時代、1416年(応永23年)前関東管領である上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方の足利持氏に対して起した上杉禅秀の乱において、大掾満幹は上杉氏憲(禅秀)に加担して足利幕府側についた江戸通房に敗れ、江戸氏が馬場城付近の領主となるが、大掾満幹は馬場城を占拠し続けます。
1426年(応永33年)江戸通房は大掾満幹が青屋祭見物で常陸府中に向かった隙に馬場城を占拠して居城とし、その後、約170年間、江戸氏が馬場城を居城としました。
戦国時代、江戸氏は主家である佐竹氏(常陸守護)と対立し、1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の際に江戸重通は北条氏に、佐竹義重・義宣は豊臣氏に加担した。これにより佐竹氏は豊臣秀吉より常陸一国を与えられ、1594年(文禄3年)佐竹氏が馬場城を奪います。佐竹義宣は城の大改修を行い馬場城から水戸城へ改名して、それまで居城としていた太田城から水戸城へ拠点を移します。
1600年(慶長5年)佐竹義宜は関ヶ原の戦いで曖昧な態度を見せたため、1602年(慶長7年)徳川家康によって水戸から追放され、出羽国秋田に転居させられた。
1603年(慶長8年)徳川頼宣が入城して以降、徳川家が城主(藩主)となりました。第2代藩主、水戸光圀は時代劇の「水戸黄門」で有名ですが、彰考館(修史館)を建て歴史書「大日本史」の編纂を開始したことで有名で、光圀の事業は後の水戸学(歴史学)の形成につながり思想的にも大きな影響を与えました。
第9代藩主、徳川斉昭は弘道館(藩校)を建て下士層から広く人材を登用したり、特産物の専売制、領内の農地の検地など藩政改革を行ったことや偕楽園の造園で有名です。斉昭は江戸幕府第15代将軍(最後の将軍)徳川慶喜の実父です。
戦国時代 水戸城周辺の勢力図
水戸城周辺の勢力図(1560年頃)
江戸忠通は佐竹義篤、義昭と戦い、佐竹氏の所領に侵攻したこともありましたが佐竹氏に敗れ従属することになります。
水戸城 縄張り
正保城絵図 常陸国水戸城絵図 正保元年(1644年)
「国立公文書館デジタルアーカイブより」
正保城絵図 常陸国水戸城絵図 正保元年(1644年)
「国立公文書館デジタルアーカイブより」