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川越城 戦国武将


太田道灌

太田桔梗

1432年(永享4年)-1486年(文明18年)。

1455年(康正元年)父の資清から家督と扇谷上杉家の家宰職を継ぎました。

1457年(長禄元年)上杉持朝の命により川越城を築きました。江戸城、岩槻城と連携して古河公方(足利成氏)の勢力(古河城、関宿城、忍城など)の勢力に対抗しました。

1486年(文明18年)太田道灌は扇谷上杉家の当主となった上杉定正に相模糟屋館に招かれて暗殺されました。


北条綱成

三つ鱗

1515年(永正12年)-1587年(天正15年)。

今川氏の家臣の福島正成の子。

福島正成の死後に北条氏綱に保護されたそうです。氏綱に気に入られて氏綱の娘を娶り、北条姓を与えられました。また、氏綱の三男の北条為昌の後見人となりました。

北条家の北条五色備で黄備え率いていたため地黄八幡と呼ばれました。

1541年(天文10年)北条氏綱が亡くなり北条氏康が家督を継ぐと、上杉朝定は河越城奪回のため、それまで敵対してきた足利晴氏(古河公方)、上杉憲政(山内上杉氏・関東管領)と連合し、1545年(天文14年)10月から8万の大軍で河越城を包囲しました。

1546年(天文15年)北条綱成は半年に及ぶ籠城戦を耐え抜いて河越夜戦で北条軍を逆転勝利に導く大功を立てました。

1587年(天正15年)病のため死去しました。