岡崎城 戦国武将
松平清康 |
1511年(永正8年)-1535年(天文4年)。 安祥松平家の第3代当主。 徳川家康の祖父。 武力により三河を掌握する。1535年(天文4年)尾張に侵攻して織田信秀の弟の信光の守る守山城を攻めるが大敗して家臣に殺害された。 |
松平広忠 |
1526年(大永6年)-1549年(天文18年)。 安祥松平家の第4代当主。 徳川家康の父。 三河松平氏の松平信定と家督を巡って対立し、また、尾張の織田信秀の三河侵攻により弱体化する。今川義元を頼って子の松平元康(徳川家康)を人質に差し出した。 |
徳川家康 |
1543年(天文11年)-1616年(元和2年)。 安祥松平家の第5代当主。 江戸幕府初代征夷大将軍。 幼少期を織田家、今川家の人質として過ごす。 1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が討死すると今川家から独立して、織田信長に接近して清洲同盟を結ぶ。 1582年(天正10年)本能寺の変での織田信長の死後、徳川家康は勢力を拡大して三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を領有する大大名となる。 1586年(天正14年)豊臣秀吉に臣従する。 1598年(慶長3年)豊臣政権において豊臣秀頼を補佐するための五大老に任命される。 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで西軍(石田三成)に完勝する。 1603年(慶長8年)征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。 徳川家康ゆかりの城徳川家康ゆかりの寺・神社 |
松平信康 |
1559年(永禄2年)-1579年(天文7年)。 徳川家康の長男(嫡男)。 1567年(永禄10年)織田信長の娘の徳姫と結婚。 1575年(天正3年)長篠の戦いで大将として出陣。武田家との戦いで武功を挙げる。 織田信長によって信康が武田勝頼と内通しているとの疑いをかけられ、 1579年(天正7年)家康の命により遠江の二俣城で切腹。信康の母の築山殿も家康の家臣によって殺害される。 |
田中吉政 |
1548年(天文17年)-1609年(慶長14年)。 長浜の宮部村出身。 最初は浅井長政の家臣の宮部継潤に仕えていた。1572年(元亀3年)織田信長が近江に侵攻したとき、羽柴秀吉の調略に応じて秀吉の与力となった。 1585年(天正13年)秀吉の甥の羽柴秀次の筆頭家老となった。 1590年(天正18年)徳川家康が関東に移封すると、尾張は豊臣秀次に与えられ、田中吉政が岡崎城の城主となった。 秀吉の死後は徳川家康と誼を通じ、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いでは東軍に属した。 |