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松代城 歴史 資料館


松代城の歴史

海津城は、甲斐の武田信玄が山本勘助に命じて築城を開始し、1560年(永禄3年)に完成。

1561年(永禄4年)9月に上杉謙信が川中島へ侵攻すると、高坂昌信は海津城に篭城する。9月10日に八幡原において両軍の決戦(第四次川中島の戦い)が行われた。

1582年(天正10年)3月の武田氏滅亡後、織田氏家臣の森長可が城主となる。

1582年(天正10年)6月、本能寺の変の後、甲斐・信濃をめぐる天正壬午の乱が発生し、森長可は信濃を捨て美濃の金山城へ退去する。

1583年(天正11年)上杉景勝の家臣であった須田満親が城代となる。

1598年(慶長3年)上杉景勝が会津に転出の後、豊臣秀吉の蔵入地となり、田丸直昌が城主となる。

1600年(慶長5年)2月に森忠政が城主となり、豊臣家の蔵入地は廃止された。

1603年(慶長8年)松平忠輝が城主となる。

1616年(元和2年)松平忠輝は改易となり諏訪藩(高遠城)に預けられ、代わって松平忠昌が城主となる。

1619年(元和5年)酒井忠勝が城主となる。

1622年(元和8年)真田信之が城主となり、以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となった。

1711年(正徳元年)三代藩主幸道のとき幕府の命により松代城と改名された。


戦国時代 松代城周辺の勢力図

第四次川中島合戦(1561年9月初め)

松代城_1561年_第四次川中島合戦

松代城 縄張り

松代城_縄張り1

「松代城 現地案内板より」