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古河城 戦国武将


足利成氏

丸に二つ引き

1438年(永享10年)-1497年(明応6年)。

第5代鎌倉公方。初代古河公方。

1438年(永享10年)永享の乱により、父の足利持氏は上杉憲実(関東管領)に敗北し自害しました。鎌倉府は滅亡しました。

上杉氏、畠山持国(幕府管領)の指示により鎌倉府は再興され、1449年(宝徳元年)持氏の遺児の足利成氏が鎌倉公方となりました。

1450年(宝徳2年)山内上杉家家宰の長尾景仲と扇谷上杉家家宰の太田資清に襲撃されました。

1452年(享徳元年)室町幕府の管領が畠山持国から細川勝元に変わると、勝元は成氏に厳しい姿勢をとりました。

1455年(享徳3年)足利成氏は上杉憲忠(関東管領)を御所で謀殺しました。このことがきっかけとなり、以後約30年間に及ぶ享徳の乱が勃発しました。

足利成氏は古河城を本拠地とし古河公方と呼ばれた。


足利義氏

丸に二つ引き

1541年(天文10年)-1583年(天正10年)。

第5代古河公方。

父は足利晴氏(第4代古河公方)、母は北条氏綱の娘の芳春院、正室は北条氏康の娘の浄光院。

1546年(天文15年)河越野戦で足利晴氏は北条氏康に大敗し、和睦しますが古河公方としての実質的な力を失いました。晴氏は長男の藤氏を後継者にしようとしましたが、北条氏康に画策により1義氏が後継者となり、1552年(天文21年)晴氏は足利義氏に古河公方の座を譲りました。