鉢形城 戦国武将
長尾景春![]() |
1443年(嘉吉3年)-1514年(永正11年)。 白井長尾氏5代当主。 1473年(文明5年)父の長尾景信(山内上杉家家宰)が亡くなると白井長尾家の家督を継ぎます。上杉顕定(山内上杉家当主・関東管領)は家宰職を景春ではなく叔父の長尾忠景に与えました。長尾景春はこのことに大きな不満をもちました。 1476年(文明8年)景春は鉢形城を築いて古河公方(足利成氏)方の寝返って反乱を起こしました。1477年(文明9年)景春は山内上杉家の拠点であった五十子陣を攻め落とし、上杉顕定を勢力を上野国まで後退させます。 この状況を武蔵進出の好機と見た扇谷上杉家の家宰であった太田道灌に攻撃され、景春の勢力は徐々に衰退します。 1478年(文明10年)上杉氏と古河公方(足利成氏)との和議が成立し、鉢形城は太田道灌に攻撃されて落城しました。長尾景春は武蔵を追われて古河公方(足利成氏)の下に逃れました。 |
北条氏邦![]() |
1548年(天文17年)-1597年(慶長2年年)。 北条氏康の五男 1558年(永禄元年)武蔵国北部の有力国衆の藤田氏の養子となる。 1568年(永禄11年)甲斐、信濃からの侵攻への備えとして鉢形城を拡張し、上野国支配の拠点としました。 1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐のとき、北条氏邦は鉢形城に籠城しましたが、圧倒的な兵力差のため降伏勧告を受け入れて開城しました。 その後、前田利家の家臣となり、1597年(慶長2年)加賀国金沢にて病で亡くなりました。 |

