高槻城 観光ガイド
高槻城
- 別名:久米路山龍ヶ城、入江城
- 城郭構造:平城
- 築城主:近藤忠範
- 築城年:10世紀末
- 城主:入江氏、和田氏、高山右近
平安時代中期(990年)に近藤忠範が久米路山と呼ばれる小丘に築いた館が高槻城の始まりとされていますが定かではありません。
戦国時代、1553年(天文22年)三好長慶が芥川山城に入城した頃、高槻城は芥川山城の支城となっており、入江春継が城主となっていました。
1568年(永禄11年)織田信長の摂津侵攻により芥川山城が落城して高槻城も開城し、和田惟政が芥川山城と高槻城の城主となりました。
和田惟政は近江国甲賀郡の有力な豪族の出身で六角氏、足利義輝、足利義昭に仕えた後に織田信長の家臣となりました。
和田惟政は高槻城を近代城郭として整備し、領内でキリスト教を保護しました。
1571年(元亀2年)和田惟政は白井河原の戦いで荒木村重、中川清秀の連合軍に敗れ討ち死にします。高山友照、高山右近父子は和田惟政の家臣でしたが惟政に命を狙われていたため和田惟政の子の和田惟長を追放して高槻城の城主となります。
高山友照は教会を建設して熱心に布教活動を行ったため領内の6割以上がキリスト教の信者となっていたそうです。
1585年(天正13年)高山右近は明石の船上城へ転封となり新たな領地でキリスト教の布教を行いました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉がバテレン追放令を発布すると高山右近は信仰を守るために領地を捨て、小西行長や前田利家らに庇護されますが、1614年(慶長19年)徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けてマニラに行き翌年に病で亡くなりました。
高槻城周辺の名物・ご当地グルメ・土産
高槻うどんギョーザ(餃子)
うどんと餃子の具を混ぜて小さなお好み焼きのように焼きます。皮で包まないので、代わりにうどんを用いることで、簡単に作ることのできる餃子です。
2023年5月に高槻市で開催された第81期名人戦第3局において、藤井聡太王将が昼食サイドメニューに高槻うどんギョーザを頼んだことで注目を集めました。
コロッケのいろは
1927年(昭和2年)に洋食屋として開店した高槻で有名なコロッケのお店。本店に併設されている「洋食のいろは」では揚げたてのコロッケなどのお惣菜を定食として食べることができます。ランチ限定11:00〜15:00。
コロッケのいろは本店 洋食のいろは 地図高槻城 地図
高槻城 スタンプ
スタンプは、確認できませんでした。
高槻城 御朱印・御城印
高槻城の御城印は高槻市立しろあと歴史館で販売されています。
高槻城 交通アクセス
[鉄道]
新大阪 - JR京都線新快速(11分)- 高槻
高槻城 駐車場
高槻城 周辺の観光情報・名物
高槻市立しろあと歴史館 |