続100名城:160番
別名:飯盛城
城郭構造:山城
築城主:不明
築城年:不明
城主:木沢長政、安見宗房、三好長慶、三好義継
飯盛山城の正確な築城時期や築城主はわかっていません。
戦国時代、室町幕府の管領で河内、山城守護の畠山義堯の家臣であった木沢長政が本格的な城郭に改修して居城としました。
1542年(天文11年)木沢長政は太平寺の戦いで三好長慶、遊佐長教に敗れ討ち死にし、後に、畠山政国の家臣の安見宗房が飯盛山城の城主となりますが、これに不満を持った三好長慶に拠点であった高屋城を攻められて敗走しました。
1560年(永禄3年)三好長慶は芥川山城から飯盛山城に居城を移し城郭を大規模に改修しました。
1561年(永禄4年)弟の十河一存が急死すると、各地で反三好派の勢力との戦いがおこり、1563年(永禄6年)嫡男の三好義興が亡くなり、名目上の主君であった細川氏綱も病死し、三好政権は衰退しました。
三好政権において松永久秀は嫡男の三好義興と同格の地位にまで出世していたことから、1564年(永禄7年)三好長慶が飯盛山城で病死する頃には、松永久秀が三好家中の実権を握っていたといわれています。
飯盛山城跡は2021年(令和3年)10月11日に国の史跡に指定されました。