100名城:49番
城郭構造:梯郭式山城
築城主:浅井亮政
築城年:1516年(永正13年)
城主:浅井亮政、浅井久政、浅井長政、羽柴秀吉
1516年(永正13年)浅井亮政が築城し、浅井氏の代々の居城となります。
1567年(永禄10年)浅井長政は織田信長の妹の市を妻として信長と同盟しましたが、1570年(永禄13年)5月、信長との同盟を破棄し、朝倉義景を攻撃していた織田・徳川軍を背後から襲いました(金ヶ崎の戦い)。
1570年(元亀元年)7月、浅井・朝倉軍は織田・徳川軍に姉川の戦いで敗れます。このとき、藤堂高虎は浅井軍で武功を挙げ、浅井長政から感状を送られました。
1573年(天正元年)浅井長政は5千の兵力で小谷城に籠城しましたが織田信長に敗れ(小谷城の戦い)、浅井家は滅亡します。市と3人の娘の茶々、初、江(浅井三姉妹)は織田家に戻ります。浅井三姉妹は後にそれぞれ豊臣秀吉、京極高次、徳川秀忠の妻となりました。
小谷城は羽柴秀吉に与えられますが、秀吉は立地の観点から小谷城を好まなかったため新しく長浜城を築城しました。小谷城の資材は長浜城に利用され、小谷城の城下町はそのまま長浜城下に移転されました。