大津城 観光ガイド
大津城
- 城郭構造:平城
- 築城主:浅野長政
- 築城年:1586年(天正14年)
- 城主:浅野長政・増田長盛・新庄直頼・京極高次・戸田一西
1583年(天正11年)賤ヶ岳の戦いの戦功により、豊臣秀吉は近江国大津2万石を浅野長政に与えました。
1586-87年(天正14-15年)豊臣秀吉は坂本城を廃城とし、浅野長政に大津城を築かせました。
大津城には琵琶湖の水運を利用して運ばれてくる物資や近江国各地の蔵入地(豊臣家直轄領)の年貢米を保管する役割があったと考えられています。
浅野長政は織田信長の弓衆であった叔父の浅野長勝の娘のやや(彌々)の婿養子で、長勝の養女のねね(寧々)が木下藤吉郎(豊臣秀吉)に嫁いだことから、秀吉とは近い姻戚関係があり、織田信長に仕えていたときには秀吉の与力となっていました。浅野長政は豊臣政権下で五奉行の筆頭とされ、行政手腕に優れた人物でした。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで城主の京極高次は東軍に属し大津城に籠城し、毛利元康(毛利輝元の叔父)、立花宗茂ら西軍1万5000を足止めして、東軍の勝利に貢献しました。
関ヶ原の戦いの翌年に大津城は廃城となり、城の建物は彦根城、膳所城に利用されました。
大津城周辺の観光名所
三井寺(みいでら)
三井寺は天台寺門宗の総本山の寺院。正式名称は園城寺(おんじょうじ)。 円城寺は7世紀に大友氏の氏寺として草創されました。その後、859年(貞観元年)智証大師円珍が園城寺の長吏に就任し園城寺を復興します。
円珍の死後、比叡山延暦寺と対立し、比叡山の宗徒によって度々焼き討ちされました。
戦国時代、織田信長と延暦寺が対立しますが園城寺は信長と良好な関係を構築します。1571年(元亀2年)比叡山焼き討ちの際には信長の本陣が園城寺に置かれました。
三井寺と呼ばれるようになったのは、園城寺には天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉(井戸)があり「御井の寺」と呼ばれていたことに由来するそうです。金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が霊泉(井戸)であると伝えられています。
三井寺 地図大津城周辺の名物・ご当地グルメ・お土産
逢坂山かねよ
きんし丼は「逢坂山かねよ」が発祥とされ、同店の登録商標となっているそうです。元々は玉子を細かく切った錦糸卵を鰻丼に添えていましたが、客からせかされ玉子焼きをぶつ切りにして添えたところ好評となり、きんし丼が名物料理となりました。
逢坂山かねよ 地図大津城周辺のお祭り・イベント
大津祭
開催期間:10月第2月曜日
開催場所:天孫神社、JR大津駅前周辺
天孫神社の例祭。滋賀県無形民俗文化財に指定されています。 宵宮(よみや)、本祭の二日間開催されます。 本祭では、江戸時代に造られた13基の曳山が巡行します。
天孫神社 地図船幸祭
開催期間:8月中旬
開催場所:瀬田の唐橋周辺
建部大社の例祭。建部大社を出発した神輿が御座船に乗せられて瀬田川で神事が執り行われます。川岸のかがり火、松明の灯りが神秘的で美しく、花火も打ち上げられます。
瀬田の唐橋 地図大津城 地図
大津城 スタンプ
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大津城 御朱印・御城印
大津城の御城印は確認できませんでした。
大津城 交通アクセス
[鉄道]
京都 - JR湖西線新快速(15分) - 比叡山坂本
大津城 駐車場
大津城 周辺の観光情報・名物
圓満院 大津絵美術館 |
近江神宮 |
建部大社 |
石山寺 |
ミシガンクルーズ(琵琶湖汽船) |
蝉丸神社 |