佐和山城 観光ガイド
佐和山城
- 城郭構造:連郭式山城
- 築城主:佐保氏
- 築城年:鎌倉時代
- 城主:佐保氏、小川氏、磯野氏、丹羽氏、石田氏、井伊氏
鎌倉時代、近江守護職の佐々木荘地頭であった佐々木定綱の六男の佐保時綱が築いた砦が佐和山城の起源であるそうです。
1570年(元亀元年)姉川の戦いで、浅井・朝倉連合軍は織田・徳川連合軍に敗北します。佐和山城の城主の磯野員昌は粘り強く織田軍と戦いますが、横山城を拠点としていた織田軍によって小谷城と分断され孤立し、1571年(元亀2年)降伏しました。佐和山城には丹羽長秀が入城しました。
豊臣政権下、1591年(文禄4年)石田三成が佐和山城の城主となります。三成は荒廃していた城を近世城郭に改修し、山頂に5層または3層の天守閣を築いていたそうです。
石田三成は奉行として伏見城に滞在することが多く、城は父の石田正継に任せていました。関ヶ原の戦いの後に佐和山城は落城し、城内に入った兵士は城内が非常に質素であったと伝えています。
佐和山上の麓にある龍潭寺の境内に石田三成の銅像があります。
龍潭寺の墓地を奥に進んでいくと、佐和山城の登山道への標識があります。 佐和山城の本丸へ入る手前に西の丸があります。西の丸は上中下の三段の曲輪で構成されていたそうで、下段の曲輪の位置に塩硝櫓跡の標識があります。
本丸跡には地蔵尊が祀られています。眺望が良い場所として彦根八景に選ばれています。右上の写真は佐和山城の北側の眺望で、右に冠雪した伊吹山、左にわかりずらいですが琵琶湖が見えます。
長浜城周辺の観光名所
石田三成屋敷跡
佐和山城跡の登り口まで470mを示す案内板の付近に、石田三成の屋敷跡があります。 ぽつりと小さな石碑があるのみですので、見落としてしまうかもしれません。 佐和山城の登り口にある龍潭寺のとなりの清凉寺は島左近の屋敷の跡に建てられたそうです。
石田三成屋敷跡 地図治部少丸
花しょうぶ通り商店街にある街の駅「治部少丸」。 石田三成、大谷吉継、島左近らに関するギャラリーです。 佐和山城のジオラマもあります。
治部少丸 地図佐和山城 地図
佐和山城 スタンプ
スタンプは、確認できませんでした。
佐和山城 御朱印・御城印
佐和山城の御城印は確認できませんでした。
佐和山城 交通アクセス
[鉄道]
京都 - JR琵琶湖線新快速(50分) - 彦根
佐和山城 駐車場
佐和山城 周辺の観光情報・名物
龍潭寺 |
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