長浜城 歴史 資料館
長浜城の歴史
1573年(天正元年)浅井長政は小谷城の戦いで織田信長に敗れ、北近江は羽柴秀吉に与えられました。
羽柴秀吉は立地の観点から小谷城を好まなかったため、当時は今浜と呼ばれていた地を長浜に改名して(信長の一字を拝領)、新しく長浜城を築城しました。
長浜城の資材は小谷城から流用し、城下町も小谷城から移転されました。長浜城は秀吉が最初に築いた居城です。
1576年(天正4年)羽柴秀吉は播磨に出陣し、翌年に黒田孝高から姫路城を譲られます。秀吉が不在となった長浜城は、1581(天正9年)荒木村重討伐や越前一向宗制圧で武功を挙げた堀秀政に与えられました。
1582年(天正10年)本能寺の変が起こると、阿閉貞征が長浜城を占領しますが、明智光秀は秀吉に敗れ阿閉氏は滅亡し、長浜城は再び秀吉が領有します。
本能寺の変後の清須会議で柴田勝家が長浜を領有し柴田勝豊が入城します。羽柴秀吉と柴田勝家の対立が続き、長浜城は秀吉に攻められ勝豊は降伏します。
1583年(天正11年)賤ヶ岳の戦い後は山内一豊が長浜を領有しました。羽柴秀吉は所有する城が姫路城のみとなったため、大阪城ができるまでの間、京都に近い山崎城を拠点として利用しました。
1606年(慶長11年)内藤信成・信正が城主になり、1615年(元和元年)大坂夏の陣後に内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城になりました。長浜城の資材は彦根城の築城に流用されました。
戦国時代 長浜城周辺の勢力図
安土城が廃城となる頃の長浜城周辺の勢力図(1585年)
羽柴秀吉が四国を平定した後、山内一豊は羽柴秀次の宿老となりました。羽柴秀次が近江八幡に転封となると一豊も近江へ移り長浜城主に任命されます。
長浜城 縄張り
「長浜城御馬屋跡石碑 案内板より」