箕輪城 戦国武将
長野業正![]() |
1491年(延徳3年)または1499年(明応8年)-1576年(天正4年)。 関東管領山内上杉氏の家臣 1541年(天文10年)海野平の戦いで武田氏に敗れた真田幸綱を長野業正が受け入れたという逸話があるそうです。 1546年(天文15年)河越城の戦いの際には上杉憲政の軍に参戦しました。長男の長野吉業は河越城の戦いによる傷が元で病死しました。 1558年(永禄元年)関東管領の上杉憲政が越後へ亡命すると、箕輪城は相模の北条氏康、甲斐の武田信玄、越後の上杉政虎(上杉謙信)が侵攻を繰り返す場となりました。長野業正は上杉謙信に臣従し、箕輪衆と呼ばれる在郷武士団を束ねて武田信玄の侵攻を防ぎました。 業正は12人の娘を近隣の豪族に嫁がせ、箕輪城を中心に西上野一帯に密度の高い防衛網を構築し、長野氏の全盛期を築きました。 1561年(永禄4年)病死しました。 |
