新田金山城 観光ガイド
新田金山城
- 100名城:17番
- 別名:新田金山城、太田金山城
- 城郭構造:連郭式山城
- 築城主:岩松家純
- 築城年:1469年(文明元年)
- 城主:岩松氏、由良氏、高山定重、宇津木氏久
1469年(文明元年)新田一族であった岩松家純によって築城されました。 その後、下剋上により家老のに由良成繁に城を奪われます。
由良成繁は上杉氏、武田氏、北条氏の間で巧みに外交を行い、上杉氏と北条氏に従属することで生き残りを図りました。
1584年(天正12年)北条氏の謀略により城を奪われ、1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の際攻撃を受けて落城し廃城となりました。
新田金山城は上杉謙信の攻撃を退けるなど、関東七名城の一つとされています。
本丸跡には新田義貞を祭神として祀る新田神社があります。
本丸と二の丸の間の堀切を抜けると右側に本丸の石垣が当時のまま残っています。
本丸の下、三の丸跡には樹齢800年の大けやきがあります。
二の丸跡は竹藪になっていました。
大手虎口の石垣は高く積み上げられています。石垣には排水のための水路も設けられています。
大手虎口を抜けると北と南側に曲輪があり、石垣と土塁がしっかりと作られています。
大手虎口の曲輪を抜けて三の丸へ行く手前に、儀式のために使われたとされる日ノ池があります。
大手虎口の手前には月の池があります。右の写真の上部の堀は、馬場曲輪と大手虎口の曲輪の間にある大堀切です。
右の写真は馬場跡から馬場曲輪全体を撮った写真です。
右の写真は物見台から南側の景色です。
新田金山城 地図
新田金山城 100名城スタンプ
スタンプは、中島記念公園(史跡金山城跡・南曲輪)の休憩施設内に設置されています。
新田金山城 御朱印・御城印
新田金山城の御城印は確認できませんでした。
新田金山城 交通アクセス
[鉄道]
東京 - JR上野東京ライン・水戸行(20分) - 北千住
北千住 - 東武特急りょうもう(1時間16分) - 太田