笠間城 歴史 資料館
笠間城の歴史
鎌倉時代、笠間の地域では正福寺と徳蔵寺の勢力争いが盛んでした。正福寺は下野守護の宇都宮頼綱に援軍を求め、援軍に来た頼綱の甥の塩谷時朝が1219年(承久元年)佐白山に笠間城を築城しました。 笠間の地域を支配下においた時朝は笠間時朝と名乗るようになります。
南北朝時代(室町時代1336〜92年)笠間泰朝は南朝側に属し北朝側の佐竹義春に攻撃されますが笠間城に籠城して撃退しました。
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐まで笠間氏が18代にわたって笠間の地を治めました。
小田原征伐の後、理由は定かではありませんが第18代当主の笠間綱家のときに主家である宇都宮国綱に攻められ笠間の地を奪われます。
宇都宮氏の支配の後、蒲生郷成(蒲生氏郷に家老として仕えていた)が城を改修し、1600年(慶長5年)関原の戦い以降、松平氏、小笠原氏、永井氏など城主(藩主)が度々入れ替わりました。
戦国時代 笠間城周辺の勢力図
笠間城周辺の勢力図(1560年頃)
笠間城 縄張り
日本古城絵図 東海道之部(6).111 常州笠間城初〔江戸中期−末期〕
「国立国会図書館デジタルコレクションより」
日本古城絵図 東海道之部(6).111 常州笠間城初〔江戸中期−末期〕
「国立国会図書館デジタルコレクションより」