岩槻城 歴史資料館
岩槻城の歴史
1457年(長禄元年)扇谷上杉氏(上杉持朝)が古河公方(足利成氏)の勢力(古河城、関宿城、忍城など)に対抗するために、家臣の太田道真、太田道灌父子が岩槻城を築きました。
1524年(大永4年)扇谷上杉氏の家臣であった太田資頼は北条氏綱に寝返って岩槻城を奪いますが、同年に、扇谷上杉氏の援軍の武田氏に攻められて降伏し再び扇谷上杉氏に帰参しました。
1546年(天文15年)河越夜戦のとき岩槻城の太田資顕(資頼の嫡男)は北条氏に仕えていた太田景資(江戸太田氏、太田道灌のひ孫)と内通して参戦せず、上杉持朝が戦死すると北条氏の家臣となりました。
1547年(天文16年)資顕が急死すると弟の太田資正が家督を継ぎました。資正は北条派の家臣らを追放して反北条氏の姿勢を明らかにしました。
1564年(永禄7年)資正の留守中に嫡男の太田氏資が北条氏康に内応して資正を追放し、岩槻城は北条方の城となりました。
1567年(永禄10年)氏資が戦死すると岩槻城は北条氏の直轄領となりました。
1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原征伐のとき大軍に攻められ降伏開城しました。徳川家康が関東に入ると、徳川家の譜代家臣の高力清長が岩槻城に入りました。
岩槻城 縄張り
〔日本古城絵図〕東海道之部 武州岩築城絵図
「国立国会図書館デジタルコレクションより」