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松坂城 歴史 資料館


松坂城の歴史

蒲生氏郷は近江の日野城を居城としていました。1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いの後に伊勢の松ヶ島に加増転封となり、秀吉から羽柴の苗字を与えられます。

氏郷は松ヶ島城は伊勢湾に面し城下町を発展させることが難しいと考えて1588年(天正16年)少し離れた内陸部に松坂城を新たに築城しました。氏郷は城下町を整備し、旧領の近江商人を呼び寄せて楽市楽座を設け、商業に力をいれたため松坂は豪商の町として発展しました。

1590年(天正18年)蒲生氏郷は小田原征伐での功績により会津を与えられ若松城に入城し、松坂城へは服部一忠が入城しました。服部一忠は織田信長に馬廻として仕えた人物で1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元に一番槍をつける戦功をあげたそうです。

1595年(文禄4年)豊臣秀次に謀反の疑いが持ち上がり、このとき、服部一忠は秀次に仕えていたために連座させられ自害させられます。

松坂城には古田重勝が入り関ヶ原の戦い後に初代松坂藩主となりました。



戦国時代 松坂城周辺の勢力図

松坂城周辺の勢力図(1588年)
松坂城_1588年

蒲生氏郷は六角氏の重臣であった蒲生賢秀の三男で、人質として信長に仕えていた時に気に入られ信長の次女を娶っていました。茶湯にも精通しており、千利休に師事し利休七哲の一人に数えられました。豊臣秀吉は蒲生氏郷の力量を恐れて政権の中心から離れた会津に加増移封したとも言われています。


松坂城 縄張り

松坂城_縄張り 松坂城_縄張り2

正保城絵図 伊勢国松坂古城之図 正保元年(1644年)

「国立公文書館デジタルアーカイブより」