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高崎城 歴史 資料館


高崎城の歴史

高崎城があった場所には、平安時代末期に豪族の和田義信が築城した和田城と呼ばれる城がありました。

戦国時代、和田城の城主であった和田業繁は上杉憲政(関東管領)に従っていました。

1558年(永禄元年)に上杉憲政が越後(長尾景虎)に逃亡すると、和田業繁は義父の長野業正に仕えますが、1561年(永禄4年)長野業正が死に戦況が悪化すると武田信玄に従いました。

1575年(天正3年)長篠の戦いで和田業繁は酒井忠次の奇襲を受けて死亡し、婿養子であった和田信業が家督を継ぎます。

1582年(天正10年)甲州征伐で武田氏が滅亡すると上野は織田信長の家臣の滝川一益の領地となったため、和田信業は織田氏に従属し、同年6月、本能寺の変で織田信長が死去し、滝川一益が神流川の戦いで北条氏に敗北すると北条氏直の家臣となりました。

1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐の際に、和田信業は小田原城に籠城し、和田城は子の業勝が守備していましたが前田利家・上杉景勝に攻撃され落城し、廃城となりました。

小田原征伐の後、徳川家康が関東に移封すると、1597年(慶長2年)家康の命により箕輪城の城主であった井伊直政が高崎城を築城しました。

井伊直政は入城に際し、地名を箕輪城下に創建した恵徳寺の開山龍山詠潭和尚の「松は枯れることがあるが、高さには限りがない」との進言にから高崎と名付けたそうです。


高崎城 縄張り

高崎城_縄張り

〔日本古城絵図〕東山道之部(4).162 上野国高崎城図

「国立国会図書館デジタルコレクションより」