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新宮城 歴史 資料館


新宮城の歴史

元々この場所に源為義(源頼朝、源義経の祖父)の娘である丹鶴姫の住まいであったことから丹鶴城とも呼ばれています。

安土桃山時代、1573-93年(天正年間)新宮城は堀内氏善が構えた平城でした。堀内氏善は紀伊国新宮を支配した豪族で、熊野水軍(海賊)を配下に置き、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)にも影響力があり、軍事力・経済力と宗教的権威を有していました。

堀内氏善の正室は九鬼嘉隆の養女で、織田信長の勢力が及んでくると織田氏に仕えていたそうです。

1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで堀内氏は西軍方につき、新宮城は東軍方の桑山一晴に攻略されました。

1601年(慶長6年)紀州藩主となった浅野幸長の重臣であった浅野忠吉が築城を開始、1619年(元和5年)に浅野忠吉が三原城(広島県)に転封となり徳川頼宣が紀州藩主として入国すると、付家老の水野重仲が新宮城の城主となり、以降、水野氏が代々築城を継続して城郭が完成しました。


新宮城 縄張り

新宮城_縄張り
〔日本古城絵図〕南海道之部(1).281 紀州新宮[城図]
「国立国会図書館デジタルコレクションより」