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亥鼻城(千葉城) 歴史 資料館


亥鼻城の歴史

1126年(大治元年)千葉常重が上総国の大椎城から下総国に拠点を移し構えた館が亥鼻城(千葉城)の始まりとされています。

常重の子の千葉常胤の代になると、上総の千葉氏との領地争いや下総の土着の武士(佐竹氏など)と相馬御厨(荘園)を巡る争いが起こり、常胤の下総支配は弱まっていきました。

1180年(治承4年)源頼朝が平氏に対して挙兵し、石橋山の戦いに敗れ安房国に渡ったときに千葉常胤は頼朝から加勢を求められて頼朝に加勢します。このことが常胤の転機となり、平家や奥州藤原氏との戦いで活躍し、上総の上総広常が源頼朝に謀殺されると、上総にまで勢力を広げ、鎌倉時代に入ると下総の守護となります。

室町時代、享徳の乱(1454-1483年(享徳3-文明14年))で千葉胤直は関東管領の上杉氏を支持し、これに不満を持っていた叔父の馬加康胤と重臣の原胤房の連合軍に攻撃され、1455年(康正元年)に亥鼻城(千葉城)を追われてしまい、本佐倉へ拠点を移しました。