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小牧山城 歴史 資料館


小牧山城の歴史

1560年(永禄3年)織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、1562年(永禄5年)徳川家康と清洲同盟を結びんだことで尾張の東側を安定化させ戦力を美濃侵攻へ集中させます。

1563年(永禄6年)織田信長は美濃に侵攻するための新しい本拠地として小牧山山頂に城を築きました。1567年(永禄10年)信長は西美濃三人衆(稲葉良通、安藤守就、氏家直元)の内応により稲葉山城を攻略し、拠点を岐阜城(稲葉山城)に移し小牧山城は廃城となりました。

1584年(天正12年)小牧長久手の戦いのときに、徳川家康が小牧山城に本陣を置き、信長が築いた城跡を利用して周囲に砦や土塁を築いて羽柴軍と対峙しました。


戦国時代 小牧山城周辺の勢力図

小牧山城周辺の勢力図(1584年)

小牧山城_1584年

小牧長久手の戦いで池田恒興は緒戦で犬山城を攻略します。徳川家康は小牧山に本陣を置き、羽柴秀吉は大阪城から岐阜を経由して犬山に着陣します。羽柴秀次は榊原康政の奇襲により壊滅状態となり、堀秀政は退却、森長可と池田恒興は討ち死にします。 井伊直政は赤備えを率いて武功を挙げ井伊の赤鬼と称され諸大名に名を知られるようになりました。