城郭構造:山城
築城主:高橋鑑種
築城年:1532-54年(天文年間)
城主:高橋氏
1532-54年(天文年間)、大友氏の家臣の高橋鑑種が岩屋城を築きました。
高橋鑑種は、豊後国大友氏の庶流一萬田氏の一族で一萬田親宗を名乗っていましたが、大蔵党の筑後高橋氏を継承し、高橋鑑種に改名しました。
高橋鑑種は武勇に優れた人物で、多くの武功を挙げて宝満城主となり、岩屋城は支城として築かれたそうです。鑑種は大宰府の管理も任されていました。
高橋鑑種は後に大友氏から毛利氏に寝返ったため、大友義鎮(宗麟)に高橋家の家督を剥奪されてしまいます。その後、吉弘鎮理が高橋家の名跡を次いで後の高橋鎮種(紹運)を名乗りました。
高橋紹運の長男の統虎は、戸次鑑連(立花道雪)の養嗣子となって道雪の娘のァ千代と結婚し、戸次統虎、立花統虎を名乗り、以降、何度も改名して、江戸時代に立花宗茂を名乗るようになります。
1586年(天正14年)九州統一を目指す島津軍の大軍に囲まれ高橋紹運は岩屋城に籠城しました(岩屋城の戦い)。降伏勧告を拒否して最後まで徹底抗戦を挑みましたが、最後、高橋紹運は高櫓て自刃し、城兵全員が討ち死にしました。