別名:柳河城、舞鶴城
城郭構造:平城
築城主:蒲池治久
築城年:1501-04年(文亀年間)
城主:蒲池治久、蒲池鑑盛、蒲池鎮漣、鍋島直茂、田中吉政、立花宗茂
1501-04年(文亀年間)、蒲池治久が蒲池城の支城として柳川城を築きました。
1558-70年(永禄年間)蒲池治久の孫の蒲池鑑盛(宗雪)は柳川城の周囲に堀を巡らせて難攻不落の堅城に改修しました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉の九州征伐の後から1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いが終わるまで、立花宗茂が柳川城を領有していましたが、立花宗茂は関ヶ原の戦いで西軍に付いたために改易されてしまいます。
立花宗茂はしばらくの間、浪人生活を送りますが、1604年(慶長9年)本多忠勝の推挙で徳川家に仕え、徳川秀忠の御伽衆として活躍し、1620年(元和6年)旧領の筑後柳川の領地を与えられて再び柳川城主となります。
立花宗茂は、関ヶ原の戦いで西軍に付いて改易さてから旧領に復帰した唯一の大名です。