続100名城:183番
別名:笹原城、篠山城、篠原城、久留目城、来目城、雨城
城郭構造:連郭式平山城
築城主:不明
築城年:1504-21年(永正年間)
城主:毛利氏、田中氏、摂津有馬氏
室町時代後期の1504-21年(永正年間)に土豪が築いた砦が久留米城の始まりと伝えられています。
戦国時代、豊後国の大友宗麟と肥前国の龍造寺隆信の勢力争いで度々城主が入れ替わりました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉が九州を平定すると、大友宗麟の娘婿である毛利秀包(小早川秀包)が筑後久留米に封じられ、天守を築いて城を大改修しました。
関ヶ原の戦いので毛利秀包は西軍に付いたため改易となり、代わりに、田中吉政が筑後に封じられ柳川城を本城とし、久留米城を柳川城の支城として二男の吉信に与えました。