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足利氏館(鑁阿寺) 歴史 資料館


足利氏館(鑁阿寺)の歴史

12世紀半ばに足利氏の祖である源義康が居館を構えたことが始まりです。

源義康は平安後期に前九年の役・後三年の役で活躍した源義家の孫にあたります。

源義家は鎌倉幕府を開いた源頼朝と室町幕府を開いた足利尊氏の祖先にあたります。

源義康は下野国足利荘を父から相続し、足利義康に改名しました。

1196年(建久7年)足利氏第2代当主、足利義兼が大日如来を奉納した持仏堂・堀内御堂を建立しました。

足利義兼は源頼朝に従軍して功績をあげています。1195年(建久5年)東大寺で出家して義称と称しました。

1234年(文暦元年))足利氏第3代当主、足利義氏が伽藍を整備して足利家の氏寺となります。鑁阿寺の鑁阿は足利義兼の戒名です。

足利義氏の母は北条時子で、時子は鎌倉幕府初代執権の北条時政の娘です。

現在の本堂は、足利氏7代当主、足利貞氏が1292-99年(正応5-正安元年)にかけて再建したものです。

江戸時代は歴代将軍から朱印地とされ、徳川綱吉の生母桂昌院の保護を受けました。

朱印地は公領とされ租税の免除などの特権が与えられました。