100名城:71番
別名:久松城、葦陽城
城郭構造:輪郭式平山城
築城主:水野勝成
築城年:1622年(元和8年)
城主:宇喜多氏、小早川氏、池田氏
1622年(元和8年)水野勝成によって築城されました。
水野勝成は徳川家康の従兄弟にあたる人物(徳川家康の生母・於大の方の実家が水野氏)で、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後に大和国郡山の藩主になり、1619年(元和5年)福島正則が武家諸法度違反により改易されたため大和郡山から移封となって福山の藩主となりました。
福山城には五重の天守と7基の三重櫓があり、二重の堀で囲まれ運河で瀬戸内海と結ばれていました。
当時の天守は福山大空襲で焼失し、現在の天守は1966年(昭和41年)再建されたものです。伏見櫓は1601年(慶長6年)頃に建てられた伏見城松の丸の東櫓を1620年(元和6年)に移築したもので国の重要文化財に指定されています。
現在、福山城の天守は福山城博物館として運用されています。
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