若松城 観光ガイド
若松城
- 100名城:12番
- 別名:鶴ヶ城、会津若松城、黒川城
- 城郭構造:梯郭式平山城
- 築城主:蘆名直盛
- 築城年:1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)
- 城主:蘆名氏、伊達政宗、蒲生氏、上杉景勝、加藤氏、保科氏、会津松平家
1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)、蘆名直盛が黒川城の前身となる城館を築きました。 蘆名氏は黒川城を代々の居城とし、第16代当主の蘆名盛氏(1521-80年)の時代には、奥州で伊達氏(伊達晴宗、輝宗)と並ぶ有力大名となりました。
豊臣政権下の1590年(天正18年)奥州仕置において蒲生氏郷が伊勢から会津に転封となります。蒲生氏郷の転封は勢力を拡大していた伊達政宗を抑えるためであったと言われています。
蒲生氏郷は地名を黒川から若松に改め、城郭と城下町を整備しました。1593年(文禄2年)には七層の天守を築き、城の名前を鶴ヶ城に改名しました。
1598年(慶長3年)越後の春日山城から上杉景勝が会津に転封(120万石)となり鶴ヶ城に入場します。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで西軍に付いたため上杉景勝は出羽の米沢に減封(30万石)となります。
若松城は、幕末の会津藩主であった松平容保(京都守護職、新選組を庇護)の居城で、会津戦争(1868年戊辰戦争)のときに旧幕府軍が籠城しました。
若松城の本丸と二ノ丸を結ぶ橋は廊下橋と呼ばれています。 かつては大手口として使用され、蘆名氏の時代には屋根の付いた廊下造りであったため廊下橋と呼ばれていました。 廊下橋は平成30年3月に新しく架け替えられました。
若松城 地図
若松城 100名城スタンプ
スタンプは、天守閣内売店に設置されています。
若松城 御朱印・御城印
若松城の御城印は鶴ヶ城観光案内所で販売されています。
若松城 交通アクセス
[鉄道]
東京 - JR新幹線(90分)- 郡山
郡山 - JR(80分) - 会津若松