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宇都宮城 戦国武将


宇都宮広綱

左三つ巴

1545年(天文14年)-1576年(天正4年)。

宇都宮氏の第21代当主。

1549年(天文18年)父の宇都宮尚綱が喜連川五月女坂の戦いで敗死すると、宿老の壬生綱房に宇都宮城を乗っ取られてしまいました。宇都宮広綱は家臣の芳賀高定に守られて真岡城に逃げ落ちました。

芳賀高定は謀略によって壬生綱房側の諸将を殺害し、外交により北条氏康の援助を得ることに成功しました。

1557年(弘治3年)北条氏康の命により佐竹義昭の援軍が出陣し宇都宮城を奪い返しました。

宇都宮広綱は佐竹義昭の娘南呂院を妻に迎え同盟し、上杉謙信とも同盟して、北条氏よりの諸大名と対立します。

1564年(永禄7年)上杉謙信、佐竹義重と共に北条方の小田城を攻め落とし小田氏治を敗走させました。

1570-72年(元亀年間)頃に広綱の病状が悪化し、北条氏と結んだ家臣の皆川俊宗に宇都宮城を奪われました。翌年、皆川俊宗が戦死したため、宇都宮広綱は宇都宮城に戻りました。

1576年(天正4年)病のため亡くなりました。