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玉縄城 歴史 資料館


玉縄城の歴史

1513年(永正10年)伊勢盛時(北条早雲)により築かれました。

玉縄城は東相模の三浦氏、武蔵の扇谷上杉氏と対抗するために築かれたと考えられます。三浦氏の滅亡後は安房の里見氏に対する押さえの城となりました。

初代の城主は北条氏時(北条氏綱の弟と推定)でしたが1531年(享禄4年)に急逝したため、氏綱の三男の北条為昌が城主となりました。

1542年(天文11年)北条為昌が病で亡くなると、北条綱成が城主となりました。綱成は今川家の家臣の福島正成の子でしたが、正成の死後に北条氏綱に保護されていたそうです。

1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐で、北条氏勝(綱成の孫)が玉縄城で籠城しますが、徳川家康に包囲され、玉縄城下の龍寶寺住職からの説得により降伏しました。

徳川政権下においても玉縄城は重要視され、徳川家康側近の本多正信の居城となりました。


玉縄城 縄張り

玉縄城 縄張り

「現地案内板より」