新府城 観光ガイド
新府城
- 続100名城:127番
- 別名:韮崎城
- 城郭構造:連郭式平城
- 築城主:武田勝頼
- 築城年:1582年(天正10年)
- 城主:武田勝頼、徳川氏
1573年(元亀4年)4月、武田信玄が西上作戦の途中で病死し、武田勝頼が家督を相続しました。 武田勝頼は躑躅ヶ崎館を居城としていましたが、信濃、西上野、駿河へ拡大した領土の統治や城下町の拡大を考慮して本拠地を新府城へ移すことにします。
1581年(天正9年)正月から新府城の築城を開始して年末には、本拠地の移転を完了しました。 新府城の築城に関して、 穴山信君(穴山梅雪)が築城を献策し、真田昌之が普請奉行として配下の国人衆を動員して築城を行ったそうです。
1582年(天正10年)1月、織田氏の調略により木曽義昌が武田勝頼から離反したことがきっかけとなり、織田信長の甲州征伐が始まり、同年の3月に武田勝頼は新府城に放火して小山田信茂の居城である岩殿城へ逃亡をはかりました。
武田勝頼は岩殿城へ向かう途中に笹子峠(大月市)で小山田信茂の謀反にあい、天目山(甲州市)へ追い詰められ自害しました。
新府城の本丸跡の東側に藤武神社の鳥居があり、階段を上がっていくと藤島神社の拝殿があります。 階段は傾斜がきついため、天候の悪い日は訪問を見送ったほうがよいでしょう。
本丸跡には、武藤神社の他に、石祠・武田勝頼公霊社、長篠役陣没将士之墓と刻まれた塚があります。
二の丸跡、馬出しの案内板がありましたが、草が生い茂っておりよくわかりませんでした。
新府城周辺の観光名所
武田八幡宮
社伝によると、822年(弘仁13年)嵯峨天皇の勅命により武田王の祠廟を遷座し同時に九州宇佐宮を合祀し創建されたそうです。 甲斐源氏4代当主、武田氏の初代当主の武田信義が氏神とし、戦国時代には武田信虎、武田信玄により再建の工事が行われました。 写真は石鳥居と総門です。
武田八幡宮 地図左の写真は本殿の手前にある拝殿です。右の写真は武田八幡神社本殿と若宮八幡神社本殿です。
武田八幡宮の石鳥居と総門の手前に、一石百観音石像があります。
わに塚の桜
樹齢約330年のエドヒガンザクラ、平成元年に韮崎市の天然記念物に指定されました。 わに塚と呼ばれる理由は幾つかあるようで、塚の形がお寺の賽銭箱の上にぶら下がっている丸く平たい鈴(鰐口:わにぐち)に似ていたことなど、諸説あるようです。
わに塚の桜 地図新府城 地図
新府城 続100名城スタンプ
スタンプは、韮崎市民俗資料館の事務室受付に設置しています。
休館日・時間外には押印することができません。
新府城 御朱印・御城印
新府城の御城印は、確認できませんでした。
新府城 交通アクセス
[鉄道]
東京 - JR中央線(15分) - 新宿
新宿 - JRホリデー快速ビューやまなし号(2時間7分) - 甲府
新宿 - JR特急あずさ(1時間35分) - 甲府
甲府 - JR中央本線(18分) - 新府
新府城 駐車場
新府城 周辺の観光情報・名物
雲岸寺 窟観音 |