100名城:31番
別名:菖蒲城・舟形城
城郭構造:平城
築城主:新発田氏
築城年:不明
城主:新発田氏、溝口氏
新発田城は、築城の時期は不明ですが、新発田氏によって築かれました。
新発田氏は新発田城を拠点として、新潟市、三条市に及ぶ地域を支配していました。
戦国時代、新発田長敦は上杉謙信に仕え、七手組大将の一人として、柿崎景家、本庄繁長、加地春綱、竹俣清綱、色部勝長、中条藤資らと並び称された武将でした。
1580年(天正8年)長敦の死後、新発田重家が家督を相続します。新発田重家は上杉景勝の家督相続(御館の乱)で武功を挙げますが、十分な恩賞を得られないことに不満を持ち、上杉景勝に対して反乱を起こしました。
1587年(天正15年)上杉景勝の攻勢により新発田城は落城し、新発田氏は滅亡しました。
1597年(慶長2年)溝口秀勝は豊臣秀吉より新発田に所領を与えられ新発田城に入城しました。溝口秀勝は関ヶ原の戦い(1600年)で東軍側について、徳川家康に所領を安堵されて、新発田藩の初代藩主となりました。溝口秀勝は藩を統治するために、旧新発田城の跡地に新しい新発田城を築城しました。
新発田城は、現存建築がある城跡としては新潟県内で唯一であるそうです。