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浜松城 歴史 資料館


浜松城の歴史

1504-20年(永正年間)今川貞相(遠江今川氏4代当主)が曳馬城(引馬城)を築城したといわれています。

1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が討死にすると、今川氏真は曳馬城の城主であった飯尾連竜が他家に寝返ることを疑い曳馬城を攻めました。飯尾連竜は城を守り和議を結びますが、今川氏真の謀略によって駿府城で殺されてしまいます。

その後、飯尾氏の家臣であった江馬氏が曳馬城を守備しましたが、1568年(永禄11年)徳川家康が曳馬城を攻略しました。

1570年(元亀元年)徳川家康は武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を岡崎城から曳馬城へ移し、曳馬という名称が敗北を連想させることから浜松城(荘園の名前が由来)に改称しました。

1572年(元亀3年)12月、三方ヶ原の戦いのとき、徳川家康は武田信玄の挑発に乗って浜松城から出陣して大敗しました。山県昌景は浜松城まで追撃しますが、家康の空城の計によって城攻めを躊躇し退却したといわれています。

1582年(天正10年)織田・徳川連合軍の甲州征伐により武田氏が滅亡すると、駿府城は徳川氏の領地となり、1586年(天正14年)家康は浜松から駿府に本拠を移しました。

豊臣政権になり1590年(天正18年)秀吉の家臣の堀尾吉晴が浜松城の城主となり、天守を建造したとされています。


戦国時代 浜松城周辺の勢力図

浜松城周辺の勢力図 三方ヶ原の戦い(1572年12月)

浜松城_1572年12月

1572年(元亀3年)10月、武田信玄が西上作戦を開始し北遠江に攻めてくると、天野景貫は犬居城を明け渡し武田軍の侵攻を先導しました。長篠城の菅沼正貞も武田軍に懐柔され寝返ります。徳川軍は二俣城を守るために出陣しますが、進軍速度の早い武田軍に対処できず敗北し、遠江の重要な拠点であった二俣城は陥落します。1572年(元亀3年)12月、三方ヶ原の戦いで徳川軍は敗北し戦線を維持できなくなりました。


浜松城 縄張り

浜松城_縄張り

遠州浜松城絵図 江戸時代

「浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブより」