小山城(祇園城) 歴史 資料館
小山城(祇園城)の歴史
1148年(久安4年)に小山下野大掾政光によって築かれました。
小山氏は武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した太田氏の出自で、太田政光が下野国小山に移住して小山氏を名乗りました。結城城を築城した結城朝光は小山政光の四男です。
小山城は鷲城、中久喜城とならび、鎌倉時代に下野国守護を務めた小山氏の主要な居城で、南北朝時代に小山泰朝が居城として以来、小山氏代々の本城となった。
1380-83年(康暦2年)第11代当主、小山義政は宇都宮氏(下野国司)と争い宇都宮氏第11代当主の宇都宮基綱を殺してしまいます。このことで、第2代鎌倉公方の足利氏満の不興を買い、鎌倉府は小山氏を討伐し小山義政は自害して小山家は断絶します。
幕府は同族であった下総の結城基光に旧小山領を与えて下野の守護に任命しますが、小山氏旧臣の不満は収まらず、足利氏光は結城基光の次男であった泰朝を当主として小山氏を再興することにしました。
第14代当主、小山持政の頃には次第に結城家から独立し、1440年(永享12年)結城氏朝・持朝父子などが室町幕府に対して反乱(結城合戦)を起こし、結城家が没落すると、小山氏は下野守護に復帰します。
第16代当主、小山間政長に跡継ぎがいなかったため、結城政朝の三男の高朝を養嗣子とし小山氏当主としました。
第17代当主、小山高朝は家臣団をうまくまとめ外交でも手腕を発揮し、結城氏と協力して宇都宮氏に対抗しました。
第18代当主、小山秀綱は1564年(永禄7年)上杉謙信に攻められて降伏するが、翌年には再度北条氏に通じるなど、小山氏存続のため上杉氏、北条氏の両陣営の間を度々移り変わり、弟の結城晴朝とも争うこともありました。
1576年(天正4年)小山秀綱はとうとう北条氏照に攻められ降伏して城は北条氏の直轄領となり、北条氏の手によって小山城は改修され、北条氏の北関東攻略の拠点となりました。
戦国時代 小山城(祇園城)周辺の勢力図
小山城(祇園城)周辺の勢力図(1564年頃)
小山秀綱は上杉氏と北条氏の二大勢力の狭間にあり、弟の結城晴朝と戦わないといけない苦しい状況におかれていました。
小山城(祇園城) 縄張り
左:小山御殿広場案内板より
右:祇園城跡案内板より