続100名城:196番
別名:田島城、鶴松城
城郭構造:山城
築城主:田島休助
築城年:14世紀半ば
城主:伊東祐賀、島津家久、島津豊久
14世紀半ば、伊東氏の一族の田島休助が築いた田島城が佐土原城の始まりとされています。
その後、本家筋の伊東氏の伊東祐賀が田島城に入城し佐土原氏を名乗り、城は佐土原城と呼ばれるようになります。
1536年(天文5年)に田島城は焼失しますが、1543年(天文12年)同じ場所に鶴松城(佐土原城)が築かれ、伊東義祐が本城として城を「九州の小京都」とまで呼ばれるほど発展させました。
島津氏が侵攻してくると伊東氏は豊後に退却し、佐土原城に島津家久が入城しました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉が九州を平定して島津義久は秀吉に降伏します。その直後に島津家久は急死し、子の島津豊久が佐土原城の城主となります。島津豊久は関ヶ原の戦いで当主の島津義弘を逃がすために用いた捨て奸(すてがまり)という戦法で戦死したことで有名です。