大徳寺 観光ガイド
大徳寺
- 山号:龍寶山
- 宗派:臨済宗大徳寺派
- 本尊:釈迦如来
- 創建年:1315年(正和4年) または 1319年(元応元年)
- 開山:宗峰妙超
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山の寺院。 京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、仏殿、法堂など中心伽藍のほか20か寺を超える塔頭が立ち並ぶ。
大徳寺は、貴族・戦国大名・戦国武将・商人・文化人など幅広い層から支持を得て栄えました。 一休宗純をはじめとする名僧を輩出しました。茶の湯文化とも縁が深い寺院。千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられる原因になった山門の千利休像の逸話が有名。
応仁の乱などの戦火により多くの伽藍が焼失したが、一休宗純が堺の豪商の協力を得て復興させました。戦国大名ゆかりの寺院(塔頭)が多くあります。
1582年(天正10年)本能寺の変の後、羽柴秀吉によって織田信長の葬儀が盛大に執り行われました。秀吉は信長の菩提寺として総見院を創建しました。
大徳寺の境内は参拝が可能ですが、大徳寺本坊(国宝の方丈、庭園)や塔頭は普段は非公開となっている場所が多くあります。各年度で公開される場所は異なりますが、春と秋に特別公開されます。
大徳寺周辺の観光名所
今宮神社
994年(正暦5)京都で疫病が大流行したときに、疫病や災いを鎮めるために御霊会が今宮神社の起源です。毎年5月に行われる今宮祭りも御霊会に由来します。
大徳寺付近で生まれた「お玉」は江戸幕府第3代将軍徳川家光の側室となり、「お玉」の子が5代将軍綱吉となりました。このことが「玉の輿」の言葉の由来であるという説があります。今宮神社は別名「玉の輿神社」とも呼ばれています。
門前のあぶり餅が人気です。
今宮神社 地図源光庵
1346年(貞和2年)臨済宗の大徳寺2世の徹翁義亨国師が隠居所として創建。江戸時代、寺は衰退していましたが、1694年(元禄7年)曹洞宗の卍山道白(まんざんどうはく)が寺を復興しました。
本堂の天井板には、1600年(慶長5年)伏見城の戦いで石田三成に敗れた徳川軍の鳥居元忠らが自刃した際の血痕跡が残った床板を移築している。その脇にある、丸窓(悟りの窓)と角窓(迷いの窓)が有名です。
源光庵 地図大徳寺 地図
大徳寺 交通アクセス
[バス]
京都駅 - 市バス(101, 205, 206号系統) - 大徳寺前
大徳寺 駐車場
大徳寺 周辺の観光情報
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