豊臣秀吉 ゆかりの城
墨俣城 |
1566年(永禄9年)ごろ、織田信長の美濃侵攻のときに、木下藤吉郎(豊臣秀吉)がわずかな期間で墨俣に城を築いた。実際は小さな砦であったと考えられている。 墨俣城の観光情報 |
長浜城 |
1573年(天正元年)浅井長政が小谷城の戦いで織田信長に敗れ、北近江は羽柴秀吉に与えられました。 羽柴秀吉は立地の観点から小谷城を好まなかったため、新しく長浜城を築城しました。 長浜城は秀吉が最初に築いた城です。 長浜城の観光情報、名物、グルメ |
姫路城 |
1580年(天正8年)羽柴秀吉が播磨を平定すると黒田孝高(黒田官兵衛)は姫路城を秀吉に献上し、秀吉は姫路城を改修して3層の天守を築きました。 秀吉は姫路城を中国征伐の拠点として毛利氏と戦いました。 姫路城の観光情報、名物、グルメ |
山崎城 |
1582年(天正10年)山崎の戦いにおいて、羽柴秀吉の軍勢は天王山にある山崎城と麓の宝積寺に布陣して、明智軍と戦った。秀吉の拠点は姫路城しかなかったため、大坂城に移るまでの間、山崎城を改修して利用しました。 山崎城の観光情報 |
大阪城 |
1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が石山本願寺跡に築城しました。 黒田孝高が縄張を担当しました。大阪城は本丸を中心に大規模な郭を同心円状に連ねた輪郭式平城。 大阪城の天守が大坂の市街から良く見えるようにと、秀吉が指示したそうです。 大阪城の観光情報、名物、グルメ |
八幡山城 |
1585年(天正13年)豊臣秀吉は安土城に替わる近江国の国城として、自ら普請して八幡山城を築城しました。 近江八幡は、紀州攻め、四国征伐の武功を立てた豊臣秀次に与えられ、秀次は1586年(天正14年)に八幡山城に入城しました。 八幡山城の観光情報、名物、グルメ |
石垣山城 |
1590年(天正18年)豊臣秀吉が小田原征伐の際に築いた陣城。小田原城の西にある笠懸山の山頂に小田原城から見えないように城を築き、完成後に周囲の木を伐採して一夜にして築いたように見せて北条氏を驚かせました。このことから一夜城と呼ばれた。 石垣山城の観光情報 |
名護屋城 |
1591年(天正19年)豊臣秀吉は明国への遠征(朝鮮出兵)の前線基地として名護屋城を築城しました。 秀吉は名護屋という地名が地元の那古野と同じであることや城を建てる山の名前が勝男山であることを気に入ったそうです。 肥前 名護屋城の観光情報 |
伏見城 |
1592年(文禄元年)豊臣秀吉は隠居所として伏見の指月に屋敷を築きました。翌年、豊臣秀頼が誕生すると将来を見据えて屋敷を伏見城へと改修しました。 1596年(文禄5年)慶長伏見地震が発生し伏見城は倒壊します。 1597年(慶長2年)秀吉は倒壊した城の資材を再利用して新しい伏見城を築きました。 1598年(慶長3年)豊臣秀吉は伏見城内で没しました。 伏見城の観光情報、名物、グルメ |