玉縄城 観光ガイド

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玉縄城 玉縄城2

城郭構造:平山城

築城主:北条早雲

築城年:1513年(永正10年)

城主:北条氏時、北条綱成、北条氏繁、北条氏勝、

        本多正信、松平正綱

1513年(永正10年)伊勢盛時(北条早雲)により築かれたそうです。
玉縄城は東相模の三浦氏、武蔵の扇谷上杉氏と対抗するために築かれたと考えられます。三浦氏の滅亡後は安房の里見氏に対する押さえの城となりました。
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原征伐で、北条氏勝が玉縄城で籠城しますが、徳川家康に包囲され、玉縄城下の龍寶寺住職からの説得により降伏しました。
徳川政権下においても玉縄城は重要視され、徳川家康側近の本多正信の居城となりました
玉縄城_武者だまり 玉縄城_七曲坂
七曲坂の途中には防衛拠点の武者だまりがあります。
玉縄城_焔硝蔵案内板 玉縄城_焔硝蔵
七曲坂を登りきると、焔硝蔵(えんしょうぐら)址があります。焔硝蔵とは火薬庫のことです。
本丸跡は現在、清泉女学院中学高等学校の敷地内にあるため自由に見学はできません、非常に残念です。

龍寶寺(りゅうほうじ)

玉縄城_龍寶寺 玉縄城_龍寶寺2
1503年(文亀3年)3代目玉縄城主、北条綱成が玉縄城の東北、山居(現在の栄光学園周辺)に開基しました。
1575年(天正3年)4代目玉縄城主、北条氏勝が3代目城主・北条氏繁を弔うため現在の地に移し、氏繁の戒名(龍寶寺殿応栄公大居士)から寺名を「龍寳寺」と改めて建立しました。
当時は玉縄北条氏の菩堤寺として栄えました。
龍寶寺 地図
玉縄城_龍寶寺3 玉縄城_龍寶寺4
玉縄北条氏(北条綱成、氏繁、氏勝)の供養塔。

大船軒 鯵の押寿し

玉縄城_大船軒_鯵の押寿し
1913年(大正2年)に販売開始。
「関東風に握り、関西風に押す。」伝統の製法。
JR鎌倉駅の売店で買って食べました。とてもおいしかったです。大船軒は日本で初めてサンドイッチ駅弁を販売したことで有名です。
大船軒

鶴岡八幡宮 鎌倉国宝館

玉縄城_鶴岡八幡宮 玉縄城_鶴岡八幡宮2
1063年(康平6年)に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義(源頼朝の先祖)が、前九年の役での戦勝を京都の石清水八幡宮に祈願し、そのお礼に鎌倉の由比ヶ浜辺に鶴岡若宮として勧請したのが始まりです。
1180年(治承4年)源頼朝は由比ヶ浜辺の鶴岡若宮を現在の地に遷し、鎌倉の町づくりの中心としました。
鎌倉武士の守護神として厚い信仰を受けてきました。1561年(永禄4年)上杉謙信が関東管領の就任式を鶴岡八幡宮で行っています。
戦国時代に里見氏に焼き討ちにあいますが、北条氏綱が再建を果たしました。江戸幕府の庇護を受け、仁王門、護摩堂、輪蔵、神楽殿などがを建築されました。
鶴岡八幡宮 地図
玉縄城_鶴岡八幡宮3 玉縄城_鎌倉国宝館
鶴岡八幡宮境内の東側に鎌倉国宝館があります。
鎌倉に関係する鎌倉時代から室町時代の国宝、重要文化財が多数収蔵されています。

高徳院 鎌倉大仏

玉縄城_高徳院 玉縄城_鎌倉大仏
高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像
1252年(建長4年)に造立が開始されたと「吾妻鏡」(北条得宗家の歴史書)に記載されています。
造立当初の像容を保っている点で仏教芸術としての価値が高いそうです。
高徳院 鎌倉大仏 地図

大船まつり

開催期間:5月
開催場所:JR大船駅東口
仮装パレードには多くのコスプレファンが集まります。コンサート、パフォーマンス、屋台にフリーマケットなど。屋台には人気の地元グルメも出店します。
JR大船駅 地図

鎌倉まつり

開催期間:4月中旬
開催場所:鶴岡八幡宮
1959年(昭和34)から行われています。鶴岡八幡宮を中心に市内でさまざまな行事が行われます。流鏑馬、華麗な静の舞など。
鶴岡八幡宮 地図

鎌倉花火大会

開催期間:7月
開催場所:由比ヶ浜・材木座海岸
1949年(昭和24年)から続く、由比ヶ浜と材木座海岸での花火大会。
沖合を走る花火船から海に投げ入れられる水中花火が有名です。
由比ヶ浜 地図

玉縄城 地図



玉縄城 スタンプ

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玉縄城 御朱印・御城印

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玉縄城 交通アクセス

[鉄道]
東京 - JR東海道本線(45分) - 大船

玉縄城 駐車場

タイムズコーナン鎌倉大船モール

玉縄城 周辺の観光情報・名物

江島神社

関東・甲信越の城↑

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